第2章 八ヶ宿村の課題
(一)
幼馴染みの中川恒昭と村議会議員の話をした後、健人の頭の中は可能性でいっぱいだった。八ヶ宿村に貢献できるかもしれない」という期待に胸を膨らませながらも、「もっと政治的な経験が必要だ」という思いも拭い去れない。そんな思いから地方政治についてもっと経験と知識を深めたいと思った健人は、長年市議会議員として地方政治に携わってきた伯母の鈴木万由子を訪ねることにした。万由子は今年で齢98歳になる。新型コロナ禍を機会に議員を引退して以降、出歩く機会がめっきり減ったせいか足腰の筋肉がめっきり衰えてしまったが、頭は多少短期記憶が怪しくなった程度でほとんど現役時代と変わらない。
東京駅から東北新幹線で2時間弱、健人は伯母の住む宮城県黒石市に到着した。
「よぐ来だね。」
万由子は健人をいつものように温かく笑顔で迎えた。その晩、二人は互いの近況について語り合った。夕食の席で健人は、八ヶ宿村の村議会議員になりたいこと、周辺の市町村にも良い影響を与えたいという野心を打ち明けた。万由子は熱心に耳を傾けた後、自身の政治家としての経験談を披露し、選挙で選ばれた議員として働くことの難しさとやりがいについて語った。
翌朝、万由子は健人を黒石市役所に案内し、市長や議員数名に紹介した。黒石市のインフラやサービスを向上させるため、長時間にわたって会議を開き、資料を作成する彼らの勤勉さと熱心さに、健人は驚かされた。また、観光、農業、テクノロジーなど、地方を活性化させるためのさまざまな戦略についても話し合われ、健人は興味深く感じた。また、観光や農業、技術など、地方を活性化させるためのさまざまな戦略についても話し合われており、健人は興味深く聞き入った。地元の文化や伝統を守ることの大切さ、そして地方が抱える課題にどう協力して取り組むかについても議論が行われていた。健人は、彼らの情熱と献身に感銘を受け、自分もこの地域に良い影響を与えたいと強く思うようになった。
その後数日間、万由子は健人に農業、観光、技術などさまざまな分野の専門家を紹介してくれた。専門家たちはそれぞれの知識や経験を健人に惜しげもなく伝えてくれた。彼らが初対面の健人にも親切なのは、万由子の人柄によるところが大きいのだと思う。健人の伯母はどこを訪れても「先生、先生」と呼ばれる。そう呼ばれるのは元市議会議員なのだから当たり前なのかもしれないが、それ以上に、会った人々には万由子に対する尊敬と長年の感謝の意が感じられた。万由子は健人に地元の農家を訪れるようにも促した。健人は、初対面の人に一人で会うのは抵抗があるので万由子の同行を望んだが、疲れるからという理由で断られた。
「オレの甥といえばみんな親切にしてくれるから…」と万由子を笑顔で見送った。この地域では女性でも自分のことを「オレ」と言う人が多い。健人は何件かの農家を訪れ、この地域の農家が直面する課題や、革新的なアプローチでこうした課題に取り組んでいることについて学んだ。また、農村向けのソリューション開発を専門とするテクノロジー企業も訪問し、八ヶ宿村の人々の生活を向上させるためにテクノロジーをどのように活用できるのか、健人は新たなアイデアやヒントを得ることができた。
そんなある日、万由子は健人を黒石市立図書館に連れて行き、地域の歴史について本を書いている歴史家に会わせた。その歴史家は、何世代にもわたってこの地域に住んでいた人々について、そして彼らの伝統や文化がどのように地域を形成してきたかについて話してくれた。健人は、この地域の豊かな歴史に魅了され、そこから学ぶべきことはたくさんあると感じた。図書館を出たところにある公園で、健人は若者グループが何らかイベントを開催している姿に目を留めた。
「あれ、彼らは何をしているのかな?」という健人の問いかけに万由子は、
「そうね、何してるのだろうね…」と言いながら、ゆっくりと若者たちに近づき、「久美ちゃん、何のイベント?」と、顔見知りらしい女性に声をかけた。その女性の名前は石田久美子で、若者たちのリーダー的な存在らしい。明るくてテキパキしていて、エネルギッシュな印象を受けた。
「あ、鈴木先生!こんにちは。」
「この公園、なんとなく寂しかったでしょう。もっと皆に使ってもらおうと思っていろいろやってんの。ま、お祭りみだいなもんよ。」
彼らが取り組んでいるのは、地元の公園を活性化させるコミュニティ・プロジェクトとのことだ。彼らのエネルギーと熱意に感銘を受けた健人は、彼らのプロジェクトが、若者の地域貢献のモデルになるのではないかと感じた。
黒石市での数日間を経て、健人は地方政治や地域貢献の重要性を少なくともいくらかは理解したように思った。そして、八ヶ宿村の人々の生活に良い影響を与えるための新しいアイデアやインスピレーションを得ることができたようにも思う。そして、新たなエネルギーと目的を持って、健人は一旦東京に戻っていった。
(二)
立候補するまでに最低でも3ヶ月間は住民である必要があることを知り、健人は早々に八ヶ宿村に移住することにした。2年前に離婚した今の健人は身軽だ。離婚の理由を安易に言えばお互いへの愛が冷めたということなのだろうが、正確には違う。少なくとも健人にとっては違う。別れた元妻の間には一人娘の未亜がいるのだが、未亜が大学を卒業し社会人となったのを機に離婚した。健人の妻に対する愛は結婚当初のレベルでなくなったのは確かだが、彼にとって元妻は肉親のような存在だったのでそれなりの「愛」はあった。離婚は、健人の感覚では、お互いをお互いから解放したというところだろうか。元妻の正確な感覚は本人のみが知るところだが、不快な男を追い出した…ということかもしれない。著者は、一旦結婚したら死ぬまで添い遂げる…という考え方を否定するつもりは毛頭無い。しかし、これからは多様性の時代なのだから、様々な家族や家庭の形があって良いと思うし、女も男も第2、第3の人生を持つのが当たり前になっていくのだろう。これまでの典型的な人生は教育→仕事→老後という3つのステージしかなかったが、「人生100年時代」とも言われているし、これからは4つ5つ6つ…のステージを生きる人が多数派になっていくのだと思う。人生のマルチステージについては、著者が語るよりも専門家の本をお勧めしたい。
本筋に戻る。
健人は中川恒昭から、中学校から高校を通して我々の同期であった佐々木麗子が、八ヶ宿村でビジネスをやっており結構成功していることを聞いていた。過疎化が進み村議会の定員割れが起こっている村でビジネスで成功とは…健人はそのギャップに興味を引き恒昭にどういうことなのかを尋ねた。
「ま、随分会ってねぇべ。連絡しでみろ」
恒昭は健人の問いを軽くいなした。麗子とは同じクラスになったことも、部活や委員会で一緒になったこともなかったが、健人はなぜか何度も話をした。利発で社交性が高そうな麗子が健人に話しかけたのだろう。
移住するには先ずは住居を確保する必要がある。八ヶ宿村のホームページを見たところ、「空き家バンク」というページがあることに気づいた。掲載されている物件はそれほど多くなかったが、手頃な賃貸物件がすぐに見つかった。その物件の説明欄に「修繕不要、家財も揃っているため即時入居が可能な物件です。なお、価格については交渉可能となっています。家庭電気製品、冷蔵庫、洗濯機、テレビなど、全て完備、そのままお使いください。」と書かれていた。都市部の賃貸物件ではあり得ない装備と条件。やはりここまでしないと、なかなか移住者を呼び込むのは難しいのだろうと健人は思った。早速村役場を介して契約した。
家財道具が整っていたので、荷物も引越の日のうちにほぼ片付いて普通に生活できる状態になった。さっそく八ヶ宿村に住む幼なじみの佐々木麗子に連絡を取り、会う約束を取り付け、道の駅の一角にある喫茶コーナーで会うことにした。
「ビジネスで成功してるんだって。凄いじゃない」
会うやいなや挨拶もそこそこに、健人は麗子にどんなビジネスを営んでいるかを尋ねた。
「一言で言えば葉っぱビジネスよ」
「葉っぱビジネス?詳しく聞かせてよ」
聞き慣れないジャンルに健人は麗子に説明を促した。
葉っぱとは、「つまもの」とか「あしらい」と呼ばれ、日本料理に添えられるつけあわせのことである。刺し身に添えられる大根の千切りや青じそを「つま」というが、これらは最も身近にあるつまもので、また、植物ではないが、コンビニ弁当や仕出し弁当に入っている葉の形をした緑色のシートも身近なつまものの一つだ。素麺の上に載せられた緑色の紅葉の葉などもよく見かける。つまものやあしらいは日本料理をより美しく見せるが効果はそれだけではない。殺菌や防腐などの実用的な効果もある。弁当の緑色のシートにも殺菌・防腐の機能が備わっており、決して無駄なものではない。
麗子が「つまもの」とか「あしらい」を農産物の一種としてビジネスにするまでは、板前や料亭がそれぞれ独自のルートを通して仕入れていたため、供給が不安定だった。麗子はそこに目をつけ、日本料理店が望むものを必要な分だけ必要なタイミングで供給できるようなビジネスを構築した。葉っぱの収穫は農家が担い、流通と販売はJAが担う。麗子の会社、株式会社彩料(さいりょう)はビジネス全体の企画、構築、運営、受発注および関係各所間の整を行うリーダー的な存在だ。ちなみに、社名の「彩料」は「料理」を「彩る」から来ているとのこと。それぞれのプレーヤーがそれぞれの特徴や強みを活かすことができたためこのビジネスは成功し、一時期は葉っぱビジネスの全国シェアの8割を占めるまでになった。
しかし、どんなビジネスにもあるように、麗子のビジネスにも課題はある。他社の参入によるシェア低下、成長の頭打ち、八ヶ宿村の少子高齢化による後継者不足と人口減少…。直ぐに経営が傾く心配は無いが、これらの課題を解決していかないと、いずれは衰退してしまう。特に高齢化と人口減少は切実な問題だ。
麗子はため息をついた。
「少しずづだげど人口減ってぎで、将来、村維持でぎなぐなるがもしれねぁーのよ。お店もたぐさん閉店して、会社の工場なんかも閉鎖してすまってとぐどう税収も落ぢだみだい。」
健人は頷きながら尋ねた。
「主な原因は何だと思う?」
「若え人だぢにチャンスがねぁーごどが一番の原因だど思う。彼らは仕事求めで都会さ出で行ぎ、帰ってこねぁーのよ。」
「この村もそうか…。黒石市も同じような状況だよ。他にも同じような地域がたくさんあるんだろうね。」
「私に、そんな地域の状況を好転させる策があるんだよ。何の実績もないから、机上の空論かもしれないんだけど…」
苦笑しながらそう言う健人に、麗子は希望に満ちた表情を浮かべながら言った。
「その策詳しく聞がせでけろ。このままなんもしねがったらこの村はジリ貧なんだがら…」
健人は微笑んだ。「もちろん。ひとことで言ってしまえば、これからの時代に適した新しい民主主義と政治システムを作るんだ。」
「新しい民主主義ど政治システムってどいなもの?」
麗子は期待を込めながらも怪訝そうに尋ねた。
「細かいことは追々説明するよ。先ずは課題をできるだけ多く洗い出したいから、他の人達からも話を聞きたいな。村の有力者とか若い人たちのリーダー的な人物とかと会わせてくれないかな?」
「ほいなこどならお安い御用よ。」
麗子はスマホをバッグから取り出し、早速電話をかけ始めようとした。
「ちょっと待って。アポを取ってもらう前にお願いがあるんだ。」
健人は恥ずかしそうに苦笑いしながら、自分が初対面の人と話すのが苦手なので、少なくとも初回の訪問時には麗子に同行してほしい旨を頼んだ。
「あんだ中学の頃がら変わらねぁーのね。良いわよ。一緒さ行ってけるわ。」
麗子は呆れとからかいが入り混じった表情で同行を承諾した。
「驚いたな…」
「自分が実は人見知りで初対面の人が苦手なことに気づいたのは、ほんの数年前、つまり50代の中頃だったんだよ。その前は、社交性は結構あるほうだと思っていたんだけど…。」「自分より他人のほうが分がってるごどがあるんでねぁー?」
麗子はアハハハと笑いながら電話をかけ始めた。
(三)
八ヶ宿村の有力者たちとは居酒屋で夕食を摂りながら会うことになった。酒は飲まない麗子に車でピックアップしてもらい店に向かった。店に到着し引き戸を開けながら麗子が「おばんです~」と店内に声をかけると「おー、麗子ぢゃん、こっちだ、こっちだ」と70代とおぼしき男性が手招きした。
「こぢらが電話でお話した鈴木さんだ。」と麗子に紹介され、健人も自分の名前を名乗った。
「初めまして、鈴木健人です。今回はお時間を作って貰いありがとうございます。」
「この方、村議会議長のさどうさん。」と麗子は、さきほど手招きした男性を紹介した。
「初めまして、佐藤智也だ。よろすく。」
先ずはということで、麗子はジンジャーエールを、健人は焼酎のお湯割りを注文し乾杯ということになった。お喋り好きの麗子と有力者たちとの雑談の後に、佐藤が村が抱える課題や問題について話し始めた。
「鈴木さん、限界集落知ってるが?」
佐藤の話によると八ヶ宿村は過疎地域の典型と言える。日本全体でも少子高齢化が深刻な問題であるが、過疎地域では少子を通り越して「無子」に近い。若者の流出が止まらないので、そもそも子育て世代がほとんど居ないのだ。また、人口の自然減、つまり死亡者が出生者より多いことも重なり、結果的に人口の減少率が都会より高く、消えゆく集落、いわゆる「限界集落」が年々増加している。医師や病院、診療所の数が少ないこともその状況に拍車をかけている。八ヶ宿村の産業経済も衰退の一途を辿っている。かつての基幹産業であった農林業が著しく停滞した上に、働き手が少ないために工場や事業所の誘致がほとんど望めない状況だ。また、人口減少は耕作放棄地と森林の荒廃を増加させている。公共施設や道路、下水道、情報通信施設、住民の交通手段などの社会インフラの整備も進まず、都市地域との格差が益々広がっている。
「シンプル過ぎてお気を悪くするかもしれませんが、上手く人を増すことができれば多くの問題が解決される可能性が高くなりますね。」健人はどんな複雑なものでもその要点を捉え、シンプルに表現しようとする。その方が、自分自身も理解し記憶しやすいし、人へも伝えやすいと信じているからだ。
「そうだんでも、それが一番難しいのだ。」佐藤はやれやれと言わんばかりにつぶやいた。
「机上の空論と言われても仕方ありませんが、私には移住者誘致のための案がいくつかあります。聞いてもらえますか?」
「とにがぐ、言ってみでけさいん」
「何か斬新なことを始めるのです。明るい未来や希望を連想させる新しい何かを。それをニュースやテレビ番組、新聞などのマスコミに取り上げてもらうのです。SNSやホームページ等を介してこちらから自発的に情報発信することも必要です。」
「新しいごどどは、例えば、どいなごどだが?」
「私は恥ずかしながら政治家を目指しているので、本音として第一に挙げたいのは、民主主義を見つめ直して、これからの時代に適合する新しい政治体制の構築を試行することです。」
「ただ、昨今、人々の政治に対する関心が低いのは否めないで、最初は注目や興味をひくようなことから始めるのが良いと思っています。」
「例えば、新しい形の診療所を作り村の医療を充実させます。その診療所では、遠隔医療を全面的に取り入れ、リモート診断やロボットの遠隔操作による手術も行えるようにします。それに必要な予算は、ふるさと納税やクラウドファンディングで募ります。」
「ダムなど村にある資源を活用し、再生可能エネルギーの自給自足を目指します。このための予算もふるさと納税やクラウドファンディングで募ることができると思います。」